地政学ー④ 何が目的?ロシアを地政学的観点から分析してみる

地政学ー④ 何が目的?ロシアを地政学的観点から分析してみる
2021年1月1日 PLUES
In ニュース, 政治

今回はロシアを地政学的観点から分析します。ロシアとはいったいどういう国なのでしょうか。

ロシアってどういう国?

ロシアは、遡ること9世紀末に、東スラヴ人(=スラヴ人の中で東スラヴ語を話す、現代のウクライナ人、ベラルーシ人、ロシア人や近隣の少数民族のこと)が、現在のウクライナ周辺に築いたキエフ公国が発祥とされています。一時期モンゴル人の侵攻を受けて征服されています。しかし、その後1480年頃に、モンゴル人支配を脱却してロシア帝国を成立させ、19世紀末に至るまであの北極に面した広大な土地を支配します。

しかし皆さん、ロシアは北の広大な土地を支配していますが、極寒の中、彼らはどうしても南下したいという思いから、常に「南方政策」を取り続けます。なぜなら寒い土地では農耕などは行えず、国民も養えないということから、南下して凍らない肥沃な土地(不凍地)を渇望します。

これがロシアの原点であり、領土拡大施策を取る目的とされています。

ロシア革命からソ連へと繋がる

20世紀世界史において最も巨大な意義をもった社会変革である「ロシア革命」です。カールマルクスとフリードリヒエンゲルスが提唱した、資本家が独占する資本を、社会の共有財産とし、資本をいたずらに拡大する賃金労働を廃止し、協同、協力によって運営する社会を目指す社会思想=マルクス主義者をユーラシア大陸に広がる大国の権力の座につけ、社会主義の名のもとに新しい社会体制をつくり出す思想がロシアで取られました。これは反資本主義、反帝国主義の革命運動を全世界に拡大する火元を生み、世界史に革新的な作用を及ぼしたとされています。

この思想が浸透した前提としては、20世紀初めのロシアがフィンランドに自治を認めつつ支配し、ポーランド、コーカサス地域を完全に併合し、帝国主義を取っていました。この統制に反発した市民の力によって、マルクスが唱えた思想が市民を奮い立たせ、政府も無視できなくなり、自由と平和を求めてレーニンがロシアを〈社会主義ソビエト共和国〉であると宣言し、ソ連の方向性を明示することになります。

マルクス主義は当時のロシア帝国時代からすればとても画期的で、市民を幸せにする考え方だったのですが、それをうまく活用しつつ、自国の利益=南下政策を推し進める為にソ連や今のロシアはクリミアの併合やウクライナ侵攻など、国際世論の反発を買うような施策を取っています。

ロシアと戦争の歴史

続いてロシアと戦争の歴史です。

まずは1768年のロシアトルコ戦争、1804年に起きたロシアイラン戦争、1812年のナポレオン戦争、1853年のクリミア戦争、1856年のアロー戦争、1904年の日露戦争、そして1914年のWW1、1939年のWW2となります。

1768年のロシアトルコ戦争は、オスマン帝国に侵攻し、ロシアが勝利を収めた戦争です。1804年に起きたロシアイラン戦争は、中東イランに侵攻し、アゼルバイジャンとグルジアを獲得しています。1812年のナポレオン戦争は、フランスのナポレオンがモスクワ遠征でロシアに侵攻したが、あまりの寒さで退却し、ロシアが逆に領土を拡大させたとされる戦争です。1853年のクリミア戦争はクリミア半島をめぐってオスマン帝国側とロシアが対立し、結果ロシアが講和に応じた戦争です。近年では2014年にクリミアを半ば無理やり併合したロシアの「クリミア併合」事件でしたが、依然として大半の国が認めず、ロシアを処罰するため米欧が主導して制裁など幅広い措置を打ち出しています。最近の調査によると、クリミア併合への市民の強い支持は失われつつあるとも言われています。アロー戦争は、1856年から1860年にかけて、清とイギリス・フランス連合軍との間で起こった戦争で、ロシアは直接は参加していませんが、南方政策の一環として中国及び東アジアへの進出を目論んだ戦争です。
そして1904年の日露戦争、これはロシアの東アジア進出を目的とした戦争でしたが、日本が勝ってしまいます。これによって東アジアへの進出を事実上諦める形に帰結しています。1914年のWW1では敗北、1939年のWW2では、連合国につくことで戦勝国として確固たる地位を得ました。

以上が流れです。これを見ると、ロシアは以下に南下政策を進めたがっているのかが見て取れます。

ソ連の崩壊と民主化への流れに

しかし、ソ連自体は1985年に書記長に就任したゴルバチョフ氏のペレストロイカ政策によって、ソ連の民主化改革が実施され、ソ連は崩壊しました。ソ連を構成していた15の諸国はそれぞれ分裂や独立し、NATOや国際連合に加盟していきます。いわば社会主義イデオロギーの敗北となりますが、2014年のクリミア併合は、この西側勢力の脅威から少しでも遠ざけるために、行ったものだとされています。いわば危機的状況を打開するためのロシアの施策でした。今またロシアの野心的な行動は顕在化しつつあるが、昨今のコロナ問題や石油脱却の流れから、ロシアの経済や国内情勢は防戦に立たされていると言えるかも知れません。

北方領土については、また別の機会に詳しく分析してみたいと思います。