パレスチナとは 〜イスラエルとは異なる彼らの視点を探る〜

パレスチナとは 〜イスラエルとは異なる彼らの視点を探る〜
2024年9月3日 PLUES
In 中東問題

パレスチナについて、歴史、経済、軍事、そしてイスラエルとの相違点に関する概要を説明します。

パレスチナ自治区ガザを巡るイスラエルとイスラム原理主義組織ハマスの戦闘発生、そして国際社会はイスラエルとパレスチナ国家の「2国家共存」に向けた和平プロセス再開を目指すが、イスラエルが持続的停戦を否定する中で実現性はあるのか。

パレスチナの目的は?ゴールは?

パレスチナの目的やゴールは、歴史的、政治的、社会的な背景によってさまざまですが、一般的には以下のように考えられます。

独立国家の樹立: パレスチナ自治政府や多くのパレスチナ人は、独立したパレスチナ国家の樹立を目指しています。これは、1967年の中東戦争以前の境界線(グリーンライン)を基にした領土で、東エルサレムを首都とする独立国家を目指すものです。

領土の回復: 多くのパレスチナ人にとって、彼らが「被占領地」と呼ぶ地域(ガザ地区、西岸地区、東エルサレム)からイスラエル軍の撤退を求め、これらの地域を完全に回復することが重要です。

パレスチナ難民の帰還: 1948年と1967年の戦争で故郷を追われたパレスチナ難民の「帰還権」の実現も、主要な目標の一つです。これには、イスラエル内外にいる何百万ものパレスチナ難民が元の土地に帰還する権利を求めるものが含まれます。

自決権の確立: パレスチナ人は、自分たちの運命を自分たちで決める「自決権」を求めています。これは、政治的、経済的、文化的な自主性を確立し、外部の干渉を排除することを意味します。

平和と安全保障: 多くのパレスチナ人とその指導者たちは、イスラエルと平和的に共存し、双方が安全と尊厳を持つことができる状態を目指しています。しかし、これは非常に困難な課題であり、双方の信頼と合意が必要です。

これらの目標は、パレスチナの人々やリーダー、政治的な勢力によって解釈や優先順位が異なることがありますが、全体としてはパレスチナ人の自由、独立、尊厳を守ることが根本的なゴールです。

イスラエルは、生産能力など「経済インフラの開発」を許さず、「国際援助などに依存する状態」に追い込み、ガザ経済は崩壊したと分析。目的は当初から「パレスチナ国家樹立の阻止とパレスチナ人の諸権利の否定」で、最終的には「西岸などの併合」とみる。今のガザ破壊はそのプロセスの「最も先鋭化した形」という。

2国家構想は一般的に1993年のオスロ合意が起点と理解される。だがロイ氏は、合意が実際にはイスラエルにとり、「西岸とガザの分離」を進めて「よりよい占領体制」を築くための役割を果たしたと解説した。

一方でロイ氏は、パレスチナに民主国家が生まれれば、強権的なアラブ諸国が自国内で民主化圧力が高まると警戒し、2国家を望まない点で「イスラエルと利害が一致している」と分析する。(ワシントン 大内清)

パレスチナはどこにある?

パレスチナは、中東に位置する地域で、地中海の東岸にあります。この地域は、主に二つの地域に分かれています。

1. **ヨルダン川西岸地区(ウェストバンク)**:
– ヨルダン川西岸は、イスラエルとヨルダン川に挟まれた地域であり、エルサレムの一部(東エルサレム)も含まれています。この地域は、パレスチナ自治政府が一部を統治していますが、イスラエルによる占領や入植地が存在するため、領土の実効支配は複雑です。

2. **ガザ地区**:
– ガザ地区は、地中海に面した小さな沿岸地域で、エジプトとイスラエルに挟まれています。この地域は、イスラム組織ハマスによって統治されており、イスラエルとエジプトによる厳しい封鎖が続いています。

パレスチナは、歴史的にはエルサレムを含む広範な地域を指していましたが、1948年のイスラエル建国以降、領土の分割や戦争により、現在のような複雑な地政学的状況が生まれました。

この地域は、宗教的、歴史的、政治的に重要であり、国際的な紛争の焦点となっています。

1. 歴史

聖書で「乳と蜜の流れる土地」(肥沃な大地)とたたえられ、十字軍やナポレオンの遠征など世界史の舞台にもなってきた パレスチナ。
16世紀以降この地はオスマントルコ帝国の一部として、アラビア語を共通言語とし、 イスラム教徒、キリスト教徒、ユダヤ教徒が共存していました。

しかし、18世紀〜19世紀にかけてオスマン帝国からの独立を目指すアラブ人の民族主義の動きが活発化していきます。
またヨーロッパで差別や迫害を受けていたユダヤ人の間では、パレスチナに民族国家建設をめざす「シオニズム」が生まれます。19世紀末、ロシアでのユダヤ人の迫害を背景に、ユダヤ人のパレスチナ移住が盛んになりはじめ、 ユダヤ系資本によるパレスチナの土地の買い占めが始まりました。
なぜパレスチナに移住及び目指したのかというと、古代のユダヤ人はモーセに導かれて「出エジプト」に成功し、故地に戻ったヘブライ人は、前12世紀ごろからカナーンの地(パレスチナ)に定住したという歴史があるとされていたからです。

イギリス・フランス・ロシアの協商国(連合国)とドイツ・オーストリアの同盟国を敵対両陣営の中心として戦われた第一次世界大戦中、
①イギリスは戦争資金を調達するためユダヤ人コミュニティに協力を仰ぎ、 「パレスチナにユダヤ国家建設を支持する」と表明した書簡を送りました(「バルフォア宣言」)。
②しかし同時に、オスマン帝国からの独立をめざすアラブ民族主義をも利用すべく、 メッカの太守フセイン(※フセイン(フサイン)は預言者ムハンマドの血統を継ぐハーシム家の首長であり、オスマン帝国から聖地メッカ及びメディナの管理権を持つシャリーフ=総督(太守)に任命)に対してイギリスへの協力の代わりに「アラブの独立支持を約束する」という書簡も送ります (「フセイン・マクマホン協定」)。
③そしてさらに同盟国であるフランスとは、戦争終結後はパレスチナの領土を分割するという協定(「サイクス・ピコ協定」)を秘密裏に結びます。

戦争終結と英仏同盟国側の勝利により、パレスチナとヨルダンはイギリス、レバノンとシリアはフランスの委任統治領になりました。 イギリスがアラブとユダヤ双方に対し相反する約束をしたことが、二つの民族主義の衝突の芽となりました。

1930年代以降ナチスによるユダヤ人迫害の嵐が吹き荒れ、第二次大戦後、世界は凄惨なホロコーストの事実に衝撃を受けました。 その影響で「ユダヤ人国家建設」というシオニズムの主張が力を持つようになります。

1947年、国連はパレスチナの土地にアラブとユダヤの二つの国家を作るという「パレスチナ分割決議」を採択します。 しかしその内容は、パレスチナに古くから住む多数のアラブ系住民に43%、 新しく移住してきた少数のユダヤ系住民に57%の土地を与えるというもので、アラブ系住民とアラブ諸国から猛反発が起こります。 パレスチナを統治していたイギリスは、アラブ民族主義とシオニズムの対立の激化になすすべなく、 一方的に撤退し、アラブ・ユダヤ双方の武装対立と緊張関係のなか、1948年にユダヤ側はイスラエル建国を宣言しました。

ここから後述する中東戦争へとつながるのです。

2. 経済

パレスチナの経済は主に農業、サービス業、小規模の製造業に依存しています。ヨルダン川西岸地区とガザ地区での経済状況は異なり、イスラエルの占領や封鎖政策、政治的不安定さが経済発展の大きな障害となっています。

ガザ地区はイスラエルによる封鎖のため、失業率が非常に高く、経済的に非常に困難な状況にあります。西岸地区でも、イスラエルの入植地拡大や移動制限により、経済活動が制約を受けています。

パレスチナの観光は、その歴史的・宗教的な重要性により、多くの魅力的な観光地を提供していますが、同時に、政治的な状況や安全性の問題が観光業に影響を与えています。

### 1. **主要な観光地**
– **エルサレム(東エルサレム)**: 東エルサレムは、イスラム教、キリスト教、ユダヤ教の三大宗教にとって重要な聖地です。ここには、アル=アクサー・モスクや岩のドームといったイスラム教の聖地、そしてキリスト教の聖地である聖墳墓教会などがあり、多くの巡礼者や観光客が訪れます。
– **ベツレヘム**: ベツレヘムは、キリスト教徒にとってイエス・キリストの生誕地とされる場所です。特に聖誕教会は世界的に有名で、クリスマスシーズンには多くの巡礼者や観光客が訪れます。
– **ヘブロン**: ヘブロンは、ユダヤ教、イスラム教、キリスト教の共通の祖であるアブラハムの墓がある場所として知られています。マクペラの洞穴(イブラヒミ・モスク)は、その宗教的な意義から訪れる人が多いです。
– **ジェリコ**: ジェリコは、世界最古の都市の一つとされ、豊かな歴史を持つ場所です。ジェリコ近郊の遺跡や、死海の近さから、観光客にとっても魅力的な観光地となっています。

### 2. **観光業の課題**
– **政治的な不安定さと安全性の懸念**: イスラエルとの紛争や占領地域における緊張が続くため、観光業は大きな影響を受けています。特に、ガザ地区は封鎖状態にあり、外国人観光客が訪れることはほとんどありません。西岸地区でも、時折発生する衝突や検問所の存在が観光の妨げとなっています。
– **インフラと投資の不足**: パレスチナの観光インフラは、イスラエルや他の中東諸国と比較して発展途上にあります。交通や宿泊施設の整備が遅れているため、観光客の受け入れ体制が十分ではないとされています。

### 3. **国際的な取り組み**
– **観光業の支援**: 国際社会やNGOは、パレスチナの観光業を支援するためのプロジェクトを実施しています。これには、地域の観光インフラの改善や観光ガイドのトレーニング、文化遺産の保護などが含まれます。これにより、観光客の誘致を図り、地域経済の活性化を目指しています。

パレスチナには、多くの宗教的・歴史的に重要な観光地がありますが、政治的な状況や安全性の問題が観光業の発展を妨げています。これらの課題を克服し、インフラの改善や国際的な支援を受けることで、将来的には観光業の成長が期待されます。

3. 軍事

パレスチナ自治政府には公式な軍隊は存在しませんが、治安部隊や警察が存在します。また、ガザ地区を実効支配するイスラム組織ハマスは、独自の武装組織を有しています。ハマスはイスラエルに対して武力行使を行っており、これがイスラエルとの紛争の一因となっています。

一方、イスラエルは強力な軍事力を持ち、中東地域において最も強力な軍隊の一つとされています。イスラエルは先進的な軍事技術と核兵器の保有も疑われており、この軍事力が地域のパワーバランスに大きな影響を与えています。

4. イスラエルとの相違点

パレスチナとイスラエルの最大の相違点は、国家の承認と領土問題にあります。イスラエルは国際的に承認された独立国家であり、国際連合の加盟国でもあります。一方、パレスチナは独立国家としての承認を得ておらず、国連では「オブザーバー国家」としての地位を持つに留まっています。

また、イスラエルは発展した経済と強力な軍事力を持ちますが、パレスチナは政治的にも経済的にも不安定で、外国からの援助に大きく依存しています。さらに、パレスチナ地域はイスラエルの占領下にあり、自由な移動や経済活動が制約されています。

宗教的にも、イスラエルはユダヤ教を国教とする一方で、パレスチナはイスラム教徒が大多数を占めています。これもまた、両国間の文化的、政治的対立の一因となっています。

中東和平問題

中東和平問題は、特にイスラエルとパレスチナの対立を中心に、長年にわたって国際社会の重要な課題となっている問題です。以下に、この問題の主な要素と現在の状況について説明します。

1. 歴史的背景 中東和平問題は、1948年のイスラエル建国とそれに続く第一次中東戦争から始まりました。この戦争で多くのパレスチナ人が難民となり、その後も数度にわたる戦争や紛争が発生しました。これらの戦争は、領土問題、難民問題、エルサレムの帰属問題などを中心とした、解決困難な課題を生み出しました。

2. 二国家解決案 二国家解決案は、イスラエルとパレスチナがそれぞれ独立国家として共存することを目指すもので、国際社会の多くが支持している解決策です。しかし、この案は実現に至っておらず、その主な原因には以下が挙げられます:

パレスチナの正義

「パレスチナの正義」という概念は、パレスチナ人の視点から見た歴史的、政治的、道徳的な要求や期待を指します。この概念は非常に多面的であり、以下のような要素が含まれます。

### 1. **自己決定権と独立国家の樹立**
パレスチナ人にとって、最大の正義は、自分たちの運命を自分たちで決定する権利、すなわち自己決定権の確立です。これは独立した主権国家の樹立を意味し、西岸地区、ガザ地区、そして東エルサレムを含む領土に基づいた、国際的に認められた国家の創設を求めるものです【16†source】。

### 2. **占領の終結と土地の返還**
イスラエルによる占領の終結は、パレスチナの正義の中核を成します。特に、1967年の第三次中東戦争でイスラエルが占領した土地(ヨルダン川西岸、ガザ地区、東エルサレム)の返還が求められています。これには、現在も続くイスラエルの入植地建設の停止と、既存の入植地の撤去が含まれます【18†source】。

### 3. **パレスチナ難民の帰還権**
パレスチナの正義の重要な要素は、1948年のイスラエル建国時やその後の戦争で故郷を追われたパレスチナ難民とその子孫の「帰還権」の実現です。パレスチナ人は、これが国際法および人権に基づく当然の権利であると主張していますが、イスラエルはこれを認めることが自国のユダヤ人国家としての性格を損なうと反対しています【19†source】。

### 4. **東エルサレムの首都認定**
パレスチナ人は、東エルサレムを独立パレスチナ国家の首都として認められることを求めています。エルサレムは宗教的、文化的、歴史的に非常に重要な都市であり、この都市をめぐる主権の問題は、紛争の中でも特に感情的な部分を占めています【17†source】。

### 5. **人権と尊厳の回復**
パレスチナ人は、占領下での生活において日常的に経験する人権侵害や抑圧からの解放を求めています。これは移動の自由、経済的な機会、そして法の支配に基づく公正な待遇を含む広範な権利の回復を意味します。また、占領や戦闘によって失われた尊厳の回復も強く望まれています【19†source】。

「パレスチナの正義」は、パレスチナ人が長い間抱いてきた自分たちの土地と権利に対する歴史的な要求に根ざしています。これには、独立国家の樹立、占領の終結、難民の帰還権、そしてエルサレムの主権問題が含まれます。これらの要求が満たされることが、パレスチナ人にとって「正義」が実現されることを意味しますが、これらの課題を解決することは極めて困難であり、現在も続く国際的な論争の中心にあります。

和平交渉

パレスチナとイスラエルの歴史において、紛争解決や和平プロセスを目指したいくつかの重要な合意があります。以下に、主要な歴史的合意を紹介します。

### 1. **バルフォア宣言 (1917年)**
バルフォア宣言は、第一次世界大戦中の1917年にイギリス政府が発表した書簡で、パレスチナにユダヤ人の「国家的郷土」を設立することを支持する内容でした。これは、シオニズム運動を強く後押しし、パレスチナでのユダヤ人移民の増加を促しました。しかし、同時にパレスチナに住むアラブ人の権利を無視しており、後の紛争の原因となりました。

### 2. **国際連合パレスチナ分割決議 (1947年)**
国際連合が採択したこの決議は、パレスチナをユダヤ国家とアラブ国家に分割し、エルサレムを国際管理区域とすることを提案しました。この決議を基に、1948年にイスラエルが独立を宣言しましたが、アラブ諸国はこの決議を拒否し、第一次中東戦争が勃発しました。この戦争の結果、パレスチナの領土はイスラエルと隣接するアラブ諸国に分割され、多くのパレスチナ人が難民となりました。

### 3. **キャンプ・デービッド合意 (1978年)**
キャンプ・デービッド合意は、エジプトのアンワル・サダト大統領とイスラエルのメナヘム・ベギン首相が、アメリカのジミー・カーター大統領の仲介で結んだ和平合意です。この合意により、エジプトはイスラエルを承認し、イスラエルが占領していたシナイ半島を返還することになりました。この合意は中東和平プロセスにおける重要な一歩となりましたが、パレスチナ問題の解決には直接結びつきませんでした。

### 4. **オスロ合意 (1993年)**
オスロ合意は、イスラエルとパレスチナ解放機構(PLO)の間で結ばれた画期的な合意です。この合意により、パレスチナは初めて公式にイスラエルを承認し、パレスチナ自治政府が設立されました。また、西岸地区とガザ地区での限定的な自治が認められました。オスロ合意は、最終的な和平に向けたロードマップと見なされましたが、最終的な和平合意には至らず、後に挫折しました。

### 5. **ワイ川覚書 (1998年)**
ワイ川覚書は、イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相とPLOのヤーセル・アラファト議長の間で署名された合意で、オスロ合意を補完するものです。アメリカのビル・クリントン大統領の仲介により、さらなる領土の返還や安全保障協力が約束されましたが、実施が遅れ、合意は限定的な成功にとどまりました。

### 6. **ロードマップ和平計画 (2003年)**
ロードマップ和平計画は、アメリカ、EU、ロシア、国連の四者協議(通称クアテット)によって提案されたもので、パレスチナ国家の樹立とイスラエルとの共存を目指す段階的な計画です。しかし、この計画も多くの問題に直面し、具体的な成果を上げることができませんでした。

### 7. **アナポリス会議 (2007年)**
アナポリス会議は、アメリカのジョージ・W・ブッシュ大統領が主催した中東和平会議で、イスラエルのエフード・オルメルト首相とパレスチナのマフムード・アッバス議長が参加しました。会議では、二国家解決の原則に基づく和平合意を目指しましたが、最終的な合意には至りませんでした。

これらの歴史的合意は、パレスチナとイスラエルの紛争解決に向けた重要な試みであり、それぞれが和平プロセスに何らかの影響を与えました。しかし、未解決のままの問題が多く、最終的な平和合意には至っていません。現在も両国間の対立は続いており、真の和平を達成するための取り組みが必要とされています。

パレスチナの国際的な承認

パレスチナの国際的な承認は、複雑で多岐にわたる問題を含んでいます。パレスチナ国家としての承認は、国際社会の中で広がっている一方で、依然として論争の対象となっています。

### 1. **国際的な承認状況**
現在、パレスチナは約138カ国によって国家として承認されています。これには、多くのアジア、アフリカ、ラテンアメリカ諸国が含まれます。これらの国々は、パレスチナを独立国家として認め、国際的なフォーラムでその地位を支持しています。

### 2. **国連での地位**
2012年、国際連合総会はパレスチナに「オブザーバー国家」の地位を与える決議を採択しました。この決議は、パレスチナを「国家」として認めるものであり、国連の多くの機関や条約に参加する権利を与えていますが、完全な加盟国としての地位はまだありません。この決議は、イスラエルとその支持国、特にアメリカの反対を受けました。

### 3. **アメリカとヨーロッパ諸国の立場**
アメリカや一部のヨーロッパ諸国は、パレスチナを独立国家として承認していません。これらの国々は、二国家解決を支持しながらも、イスラエルとパレスチナの間で直接的な交渉を通じて最終的な地位が決定されるべきだと主張しています。そのため、パレスチナの一方的な国家承認を避け、交渉による解決を促す立場を取っています。

### 4. **イスラエルとの関係**
イスラエルは、パレスチナを独立国家として承認していません。イスラエルは、パレスチナ国家が設立されるためには、まず和平交渉が進展し、イスラエルの安全保障が確保される必要があると主張しています。また、イスラエルは、東エルサレムの帰属問題や難民の帰還権問題など、未解決の問題が多く存在することを理由に、パレスチナ国家の承認に慎重な姿勢を示しています。

### 5. **地域および国際的影響**
パレスチナの承認問題は、中東地域の政治に深い影響を与えています。アラブ諸国の多くはパレスチナを支持しており、国際社会においてパレスチナの地位向上を求めています。一方で、イスラエルと外交関係を正常化しているアラブ諸国もあり、この動きは地域のパワーバランスに新たな影響を及ぼしています。

パレスチナの国際的承認は、特定の国や地域で進展しているものの、完全な国際的承認には至っていません。これは、イスラエルとの未解決の問題、特に領土や安全保障に関する対立、そして国際社会における地政学的な利害関係が複雑に絡んでいるためです。

まとめ

パレスチナとイスラエルの関係は複雑であり、歴史的、経済的、軍事的、宗教的な要素が絡み合っています。この地域の紛争は、中東全体に影響を与え、世界的な関心を集め続けています。和平プロセスは何度も試みられていますが、今なお完全な解決には至っていません。

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